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志村けんの母、志村和子が24時間テレビで特集!96年間の生きた道とは?

志村けん

志村和子さんの24時間テレビでの特集

志村けんさんのお母さんである志村和子さんの特集が、2016年の24時間テレビで組まれています。タイトルは「息子が知らなかった96年間の生きた道」

 

訃報の報道も、まだ記憶に新しいかもしれませんが、志村和子さんは2015年11月23日に享年96歳でお亡くなりになりました。

 

志村けんさんは、母和子さんが自分の一番のファンだったといい、舞台もよく見に来てくれたそうです。また和子さん自身も「恥ずかしいからいやだ」とはいいながらも、テレビに出るのが実は好きだったらしく、志村けんさんと何度か共演もされています。

 

一番の思い出は『志村けんのバカ殿』での共演で、「若い女性とベッドインする設定で、振り向いたらお袋だった」場面だそうです。

 

今回の24時間テレビでの特集は「息子が知らなかった96年間の生きた道」なので、志村けんさんが生まれる前や子供の頃の時代も含めて、紹介されるのではないでしょうか。

 

志村和子さんがお生まれになられたのは1919年なので、ほぼ100年前になります。関東大震災は1923年なので、和子さんが4才の時に被災されてますね。

 

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和子さんが子供だった大正時代は、女子の教育機会はまだまだ閉ざされていて、尋常小学校を卒業後に、女学校に進学する割合は10%前後しかありませんでした。
基本的には女性は若くして親の決めた相手のところへお嫁に行くのが普通の時代でした。

 

志村けんさんは志村和子さんが31才の時の子供なので、初婚か再婚かはわかりませんが、かなり当時としては高齢になってからのお子様になります。遅い時の子供ほど可愛いともいうので、和子さんが何歳になっても志村けんさんの一番のファンであり続けた理由かもしれません。

 

当時の一般的な世相としては、江戸の香りを残していた明治時代と近代化が進んだ昭和の時代のちょうど中間の頃で、和洋折衷の文化が花開いた頃でもあります。

 

食事では、「三大洋食」としてカレー・コロッケ・とんかつが大ブームとなり、カルピスが発売されたのも1919年(大正8年)になります。きっと和子さんの幼少の頃は、カルピスと一緒にカレーライスを食べるのが、楽しみだったのではないでしょうか。

 

大正時代食堂

第一次世界大戦が1914~1918にあり、戦勝国の日本は領土拡大とともにかなりの好景気な時代をおくることとなりました。

NHKの朝ドラ『ごちそうさん』『花子とアン』がちょうど大正時代を描いた作品なので、見られていた方はイメージがしやすいかもしれません。

 

その後志村けんさんが生まれる1950年(昭和25年)までの昭和初期の時代は、日本が戦勝国となったことで、軍部の力が強くなり他国と衝突を繰り返し、日中戦争や国際連盟脱退など、日本が世界から孤立していく時代となりました。

 

また1929年(昭和4年)の世界恐慌の余波で、日本の景気も一気に冷え込み、景気拡大に予算を使いたい文民政治家を、軍事力増量に予算をつぎ込みたい軍部が暗殺する事件が多発するなど、暗い時代へと入っていきます。

 

志村けんさんは三男なので、志村和子さんは長男・次男をこんな暗い世相のなか育てられてきたのでしょう。

 

24時間テレビでは、現代のように平和で便利な世の中ではなかった時代を生き抜いてこられた志村和子さんの姿が、きっと紹介されるんでしょうね。

 

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